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●娯茶平の歴史
昭和21年5月 | 「オール前川娯茶平倶楽部」と言う名称、28名で誕生。 阿波踊りの生き字引と言われ、盆踊りの名称を「阿波踊り」と改称した民族芸能研究家「林 鼓浪」さんから阿波踊り指導を仰ぐ。男性のみで結成。 |
昭和22年8月 | 「娯茶平」と連名を改名。 |
昭和24年8月 | 「紙浴衣」古い紙幣を溶かした紙製の浴衣で「娯茶平」最初の連統一の浴衣を新調する。 |
昭和25年3月16日 | 阿波観光ホテル前で「天皇陛下」に天覧踊りを賜る。 |
昭和26年 | 発足した阿波踊り振興協会に加盟。 |
昭和33年9月 | 松竹映画「集金旅行」で娯茶平映画初出演。 |
昭和39年4月 | 「女踊り」が22名で誕生。 |
昭和43年 | 阿波踊り振興協会から脱会。 |
昭和44年6月6日 | 徳島市文化センターで「娯茶平25周年記念阿波踊りワンマンショー」を行う。 |
昭和44年 | 徳島県阿波踊り協会発足、娯茶平入会する。58連でスタート。 |
昭和45年7月16日 | 大阪での日本万国博覧会会場で、天皇、皇后両陛下に2度目の天覧踊りを賜る。 |
昭和51年3月 | 「ちびっ子娯茶平」を結成、35名のちびっ子踊りが誕生。 |
昭和54年 | 娯茶平単独連でハワイのアロハウイークフェスティバルに出演。 |
昭和57年4月 | 娯茶平女性の男踊り(モモ)が誕生した。 |
昭和58年5月29日 | ブラジルサンパウロでの在伯県人会創立25周年に「高橋 敬」氏等が出席。阿波踊りを指導する。 |
昭和63年5月10日 | イタリア国営放送の招待でちびっ子娯茶平1988年イースター「復活祭」に出演。 |
平成元年7月22日 | 沖縄、宮古島平良市から熱望され「宮古まつり」のパレードで乱舞を披露。 |
平成3年10月31日 | 米国ロサンゼルス、トーレンス市での「海外アンテナショップ」に出演。 |
平成5年8月23日 | オーストラリア、シドニーでの第9回ジャパンフェスティバルオペラハウスに出演。 |
平成7年10月4日 | 中国広州市の白雲空港と日本エアシステムの関西国際空港との定期航空路開設記念祝賀会での阿波踊りに出演。 |
平成8年9月24日 | 娯茶平結成50周年記念祝賀会を徳島プリンスホテルで行い、「娯茶平50周年記念誌」を発行する。 |
平成10年11月15日 | 徳島県「海の祭典」にご出席された天皇、皇后両陛下から岡連長阿波踊に対する永年の努力に対し労いのお言葉を頂く。(アスティ徳島)にて |
平成11年8月12日 | 娯茶平お囃子に50人余の「赤笛隊」が誕生する。 |
平成13年8月12日 | 娯茶平お囃子に安藤正会をリーダーとして「三味線娘」を結成した。 |
平成14年1月21日 | 中国広東省での「政府友好提携5周年記念」に出席し阿波踊りを披露する。 |
平成16年4月27日 | 娯茶平お囃子と「よしこの」の名手お鯉さんが共演作として「娯茶平60周年記念CD」のレコーディングを行った。 |
平成17年9月10日 | 中国交正常化35年周年「日中のお祭りIN北京」に出席し阿波踊りを披露する。 |
平成19年8月26日 | シンガーソングライターさだまさしさんの小説「眉山」フジテレビ制作に娯茶平単独出演した。 |
平成19年9月2日 | 東京新国立劇場で文楽と創作ダンスと娯茶平初のコラボレーション舞踊組曲「母子慕情」に出演する。 |
平成20年4月19日 | ドイツニーダーザクセン州で開かれた「ブラウンシュバイク、バイネ、ヴォルフスブルグ独日協会」の創立25周年記念行事「日本祭り」に出演。 |
平成20年1月22日 | 「徳島県阿波踊り協会総会」において岡秀昭連長が徳島県阿波踊り協会副会長及び徳島支部支部長に就任した。 |
平成20年5月24日 | ブラジル、サンパウロ市での「ブラジル徳島県人会の創立50周年式典」で阿波踊りを行う。又現地「レブレーザ連」の阿波踊り指導も行った。 |